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※保護者のかたへ
 埼玉県内の多くの小学校では4年生で見沼代用水について学習をしています。そのため、サイト内のふりがなについては、文部科学省HPに掲載されている【新学習指導要領・生きる力(平成23年4月〜)】の学年別漢字配当表を参考に、4年生までに学習していない漢字及びそれらを含む単語について表示しています。

土地改良区の役割(やくわり)

土地改良区とは?

 見沼(みぬま)代用水の水を使ってお米を作っている農家の人たちの集まりです。

見沼(みぬま)代用水の水を使う範囲(はんい)

 見沼(みぬま)代用水の水を利用している地区は、利根川から東京都(さかい)までの埼玉県(さいたまけん)北東部から南部の地域(ちいき)で、16市2町に関係する南北約60km・東西約20kmになります。

土地改良区の仕事とは?

利根大堰(とねおおぜき)から引いた見沼(みぬま)代用水の水をお米を作る農家の田んぼにとどけます。
(いた)んだ水路を修理(しゅうり)したり、古くなった水路を新しい水路に直します。
堤防(ていぼう)草刈(くさか)りやゴミを拾う清掃(せいそう)活動を行っています。また、水路の流れを良くするために、底にたまった
 (どろ)やゴミを取りのぞいています。

見沼(みぬま)代用水の歴史

名前の由来

 約1,200haにおよぶ見沼(みぬま)ため()干拓(かんたく)するにあたり、新たな水源(すいげん)を利根川に求めたことにより、見沼(みぬま)に代わる用水として見沼(みぬま)代用水路となりました。

見沼(みぬま)代用水の始まり

・1629年に伊奈忠治(いな ただはる)により八丁堤(はっちょうてい)(きず)かれ 、約1,200haの見沼(みぬま)ため()が完成しました。
 見沼(みぬま)ため()の水は下流の約5,000haの田んぼの水源(すいげん)として使用されました。
・1727年(享保(きょうほう)12年)に井澤弥惣兵衛為永(いざわやそうべえためなが)により見沼(みぬま)代用水路が開削(かいさく)され、あわせて芝川(しばかわ)が掘られ、
 1,200haの新田開発と用水路沿線(えんせん)沼地(ぬまち)が田んぼになりました。

見沼(みぬま)代用水の役割(やくわり)

 見沼(みぬま)代用水はお米を作るための水を流す農業用水路です。
 江戸(えど)時代、お米はお金の代わりとして利用されていました。当時の江戸(えど)の人口は1600年(ころ)の約13万人から1700年(ころ)には約100万人まで()え、江戸幕府(えどばくふ)食糧(しょくりょう)不足・財政難(ざいせいなん)という問題をかかえていたことから、新田開発を行いお米を作る田んぼを()やす必要があったのです。見沼(みぬま)代用水は、見沼(みぬま)ため()の水を使い米作りをしていた田んぼと、見沼(みぬま)ため()干拓(かんたく)して新たに開発された田んぼで使用する水を供給(きょうきゅう)するために作られました。
 また、見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)()られたことで見沼(みぬま)代用水路は舟運(しゅううん)にも利用され、江戸(えど)年貢米(ねんぐまい)や野菜などを運び、江戸(えど)から肥料(ひりょう)や日用品などを運びました。舟運(しゅううん)は昭和6年まで約200年続けられました。

見沼(みぬま)代用水の開削(かいさく)

 工事は1727年8月から翌年(よくねん)2月に行われました。60kmにおよぶ水路の開削(かいさく)工事は、すでにあった星川を利用したり、台地のすそを利用したりと、短い時間で工事ができるよう工夫され、6ヶ月という短期間で完成しました。

見沼(みぬま)代用水の重要構造物(こうぞうぶつ)

十六間堰(じゅうろくけんぜき)八間堰(はちけんぜき)

 星川から久喜市(くきし)(旧菖蒲町(きゅうしょうぶまち))で分かれ、見沼(みぬま)代用水の入口に八間堰(はちけんぜき)、星川に十六間堰(じゅうろくけんぜき)が作られ用水排水(はいすい)の調節を行っています。用水が必要な時には十六間堰(じゅうろくけんぜき)()じて八間堰(はちけんぜき)を開き、用水のいらない時は反対に八間堰を閉じて十六間堰を開き星川に水を流しています。(せき)の横の長さがそれぞれ八間(約14.5m)、十六間(約29m)であったためこの名前が付けられています。

柴山伏越(しばやまふせこし)

 伏越(ふせこし)とは、川の下に水路を作り横断(おうだん)させる施設(しせつ)のことです。見沼(みぬま)代用水と元荒川(もとあらかわ)が交差する白岡市(しらおかし)蓮田市(はすだし)(さかい)にあり、元荒川(もとあらかわ)の下を見沼(みぬま)代用水路がくぐっています。出来たときは水を二つに分けて伏越(ふせこし)掛渡井(かけとい)で通水するようになっていましたが、掛渡井(かけとい)元荒川(もとあらかわ)の流れのじゃまになることから30年後に撤去(てっきょ)されました。

瓦葺掛渡井(かわらぶきかけとい)

 掛渡井(かけとい)とは、川の上に水路を作り横断(おうだん)させる施設(しせつ)のことです。見沼(みぬま)代用水と綾瀬川(あやせがわ)が交差する蓮田市(はすだし)上尾市(あげおし)(さかい)にあり、綾瀬川(あやせがわ)の上を見沼(みぬま)代用水路が通っていました。現在(げんざい)伏越(ふせこし)となっています。

見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)

 見沼(みぬま)代用水路が完成した3年後、芝川(しばかわ)東縁(ひがしべり)西縁(にしべり)用水路の間にさいたま市(旧浦和市(きゅううらわし))の八丁堤(はっちょうてい)にそって作られました。通船堀(つうせんぼり)は、用水路と芝川(しばかわ)の間に二つの水門を作り水の高さを調節して(ふね)を通す仕組みになっていて、閘門式運河(こうもんしきうんが)()ばれています。用水路と芝川(しばかわ)の水の高さは約3mの(ちが)いがあります。
 
見沼(みぬま)代用水路(重要構造物(こうぞうぶつ))パンフレットはこちら

見沼(みぬま)代用水の水源(すいげん)

水源(すいげん)について

 見沼(みぬま)代用水は利根川から取水しています。行田市(ぎょうだし)にある利根大堰(とねおおぜき)で利根川の流れを()き止め、そこから決められた量を守り取水しています。
 利根川の水源(すいげん)群馬県(ぐんまけん)新潟県(にいがたけん)(さかい)にある大水上山(おおみなかみやま)雪渓(せっけい)です。 
 
水源(すいげん)についてのパンフレット(PDF)はこちら