井澤弥惣兵衛為永翁は約280年前に現在見沼田んぼとなっている見沼溜井を干拓し、この溜井の代わりとなる水源を利根川に求め、わずか半年あまりで見沼代用水路を開削しました。また国指定史跡となった日本最古の閘門式運河である見沼通船堀を開削し舟運も発展させました。
 翁が開削した見沼代用水は、今日まで途絶えることがなく水田を潤し、埼玉県農業の発展に寄与してきました。この功績を永く後世に伝えようと井澤弥惣兵衛為永翁銅像建立委員会が翁の生誕350年を記念し、全国各地から賛同を頂いた約7,200名の皆様の貴重な寄付金をもって、平成17年10月23日(日)、さいたま市緑区南部領辻地内の見沼自然公園に銅像を建立しました。       
 像は、御影石の台座の上に高さ約1.9mのブロンズ制の立像で、さいたま市在住の二紀会委員の彫刻家細野稔人氏が制作しました。                                                 
 式典当日は、雲ひつとない秋晴れのなか、翁の御子孫や上田埼玉県知事をはじめ200名の来賓及び関係者の出席をいただき除幕式が執り行われました。 

見沼自然公園に建立された
井澤弥惣兵衛為永翁の像

    碑 文
    井澤弥惣兵衛為永翁の功績

 井澤弥惣兵衛為永翁は承応三年に現在の和歌山県海南市に生まれ、若い頃から紀州藩の土木技術者として亀池の築造をはじめ数多くの土木事業を行いました。 
 享保七年八代将軍吉宗に江戸に召し出された為永は、享保十二年に得意な紀州流の土木技術を駆使して見沼を干拓し、見沼に代わる水源を利根川に求め、長さ六十粁余りの見沼代用水を半年余りで完成させ、千二百町歩の新田を開発しました。これが現在の見沼田んぼです。そのほか用水沿岸のため池も新田開発されかんがい面積は一万四千町歩を超えました。
 更に日本最古の閘門式運河の見沼通船堀を造り、江戸と見沼代用水を結ぶ舟運を発展させました。これらの功績により享保十六年に幕府の勘定吟味役となりました。 
 この偉大な功績を永く後世に伝えるため、井澤翁の生誕三百五十年を記念して賛同を頂いた皆様と見沼代用水土地改良区でここに銅像を建立するものです。

  平成十七年十月吉日

井澤弥惣兵衛為永翁銅像建立委員会

除幕式典の様子

建立場所(見沼自然公園)及び交通案内

式典会場の全景

除  幕

会場風景

会場風景

翁の御子孫と見沼代用水土地改良区役員及銅像建立委員

見沼代用水の歴史や役割についてパネル展示

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