文禄3年(1594)忍城主松平忠吉は、家老の小笠原三郎左衛門に羽生市地内で3つに分かれていた利根川の北側と南側の2つに堤を築いて締切、東に流れていた利根川1本にしました。これにより、南側を流れていた会の川は利根川ではなくなりました。
 会の川は、今から約410年前までは利根川であったといわれています。
  会 の 川
    羽生市上新郷地内 
    県指定旧跡 川俣締切跡
金兵衛用水路(加須市志多見地内) 
   金兵衛用水路

 
志多見溜井から用水を分けて、志多見、馬内、礼羽、加須地区へ用水路約3800mを掘りました。この用水路は、後に金兵衛用水路と呼ばれました。
 加須市志多見地内(志多見堰上流)水路の左右岸には溜井の跡が残っている。
      志多見溜井跡


  寛永2年(1625)当時の羽生領代官であった大河内金兵衛久綱は、羽生地域の水を集め志多見(会の川)に溜井をつくり、田んぼの用水に利用しました