この構造で有名なのは太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河ですが、これは1914年(大正3年)の完成であり、通船堀はそれより183年も前に日本人によって考案された日本最古の閘門式運河(※1)という点で貴重な遺構です。  

通船堀を通行していた舟は、江戸への往路では年貢米や野菜などを、復路では肥料や日用品などを運びました。通船は昭和6年(1931)まで約200年続けられ、我が国の産業交通史上に偉大な貢献をしました。
現在見沼通船堀は国の指定史跡になっており、年に一度通船の実演が行われています。

見沼通船堀閘門通水実験   東縁

昔の通船堀の様子

復元された見沼通船堀閘門

手前が東縁一の関、奥が二の関

東縁 一の関

八丁河岸  大正年間

※1
閘門式運河とは水位の差の激しいところに水門(閘門)を造り、水位を調節して通船をする施設のこと。

見沼通船堀遊想図

にたり船

毎年8月に行われる通船実演

東縁通船堀入り口(芝川側)
(さいたま市緑区大字大間木地内)
昭和30年代
西縁通船堀(芝川側)
(さいたま市緑区大字大間木地内)
昭和30年代
見沼通船堀は見沼代用水路が完成した3年後の享保16年(1731)、さいたま市内の八丁提に沿って作られました。

通船堀は東縁・西縁から芝川を通って下流の荒川や隅田川を下り江戸へ向かう水運を開くため、芝川の東側に390m、西側に650mもの長さに渡って設けられた運河ですが、芝川と見沼代用水路は3mもの高低差がありました。

そこで弥惣兵衛は通船堀内にいくつかの関(閘門※1)を設け、この関で水位を調節しながら
エレベーターのように舟を上下させることで、見沼代用水路と芝川を結んだのです。
見沼通船堀(東縁)の閘門
(さいたま市緑区大字大間木地内)
大正年間